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ムーンな想い vol.11

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「『かぐや』へ、1年目のオマージュ」

月周回衛星「かぐや」落下直前に撮影した月面の映像
Image credit: JAXA/NHK

月周回衛星「かぐや」落下直前に撮影した月面の映像
Image credit: JAXA/NHK

2010年6月…世の中(特に宇宙開発の世の中)は、待ちに待った「はやぶさ」の帰還で盛り上がっているが、ちょうど1年前に何があったのかを思い出してみて欲しい。
6月11日早朝、月探査衛星「かぐや」はその使命を終え、最終的に月面に落下、これにより、2007年12月から開始された探査が終了することとなった。

10日深夜。私は雨が降り始めた東北道を南に向かっていた。目的地は神奈川県相模原市の宇宙科学研究所。11日午前3時半(日本時間)に迎える、「かぐや」の月面への制御落下を、できる限り近くで確かめたいと、職場の仕事が終わってから車で現地へ向かったのである。

私と「かぐや」の関わりは、人生と幾重にもわたる糸で結びついているといってよい。大学院の博士課程で宇宙科学研究所に在籍していたとき、当時指導していた先生が、私をこの月探査計画へ誘ったのが始まりだった。
宇宙研の学生からNASDAの技術者へ。規模も考え方も仕事の仕方も違う組織への移動は、ストレスの連続だった。その中でも、衛星の姿を(紙の上ではあるが)少しずつ形にしていくことができた。それに喜びを抱いていた、という点で、私は物作りにあこがれていた面があったのかも知れない。その衛星にはやがて「セレーネ」(SELENE)という名が与えられ、徐々にプロジェクトが本格化していく。

結局私はNASDAには2年間しか在籍しなかったが、その後も関連財団法人でセレーネに携わることになった。しかし、各種の仕事の中で次第に疎遠になり、やがて私は再び広報職務担当としてJAXAへ出向。技術開発や研究といった面からはさらに遠くなることになってしまった。

しかし、2007年に転機が訪れる。現在の会津大学への職を得たのだ。再び研究の道に戻ってきた私が真っ先に取り組むことになったのは、「かぐや」=セレーネのデータであった。
将来の「かぐや」のデータ取得に備え、効率的にデータを解析できるシステムを作る。コンピュータが好きで、物作りが好きで、さらにいえば月・惑星探査がライフワークの私にとって、これほどぴったりな仕事はあっただろうか。
それでも、遠ざかっていた間の情報のギャップはあまりに大きかった。開発の最後の数年間はものごとが劇的に進んでいたのだ。私自身は、立ち上げ当時からのメンバーでもあったにもかかわらず、個人的には、最後にプロジェクトチームに戻ってきた際に少しではあるが違和感を感じざるを得なかった。

紙の上の衛星が実物になり、やがて宇宙へ飛び立っていく。
コースとしては当たり前だが、特に実際の衛星開発ではなく、私のようにバックでデータ処理などを担当している人間にとっては、どうしてもその実感が間接的なものにならざるを得ない。直接、せめて衛星の最後だけは、その場で直接、情報をみたい。その気持ちが、私を南へと駆り立てたのである。
あるいは、自分の心の中で、「かぐや」へのギャップを解消したい、という想いがあったのかもしれない。

到着は夜半過ぎだった。しかし、運用管制室は関係者限定のため、私はそこから流れてくる映像をみられる部屋での待機となった。
3時25分、無音のビデオ画面の向こうで、どうも一斉に拍手をしているらしい映像が映った。どうやら、うまく最終運用が行われたらしい。もどかしいことではあるが、私はミッションそのもののセキュリティの厳しさも理解はしていたので、できることはできた、と思っていた。

幸い、すべての制御落下運用が終了した4時過ぎ、私たちが運用ルームに入ることが許された。皮肉なことに、私が運用ルームをみることができたのは、運用すべき衛星がこの世からなくなったあとなのだ。
その衛星の規模に比べてそれほど大きくない部屋では、多くの人たちが働いていた。しかし彼らの多くは、すでに撤収の準備を始めていた。荷物や書類をまとめている姿は、私が感傷に浸ろうという気持ちを現実に引き戻すのに十分なインパクトであった。
その中でも、ハイビジョンのチームは、最後に得られた写真を必死になって解析していた。運用担当者が、ほとんど真っ暗のモニタースクリーンの上に、わずかに何かが写っているのを発見した。「かぐや」が搭載していたハイビジョンカメラの最後の画像。文字通り、私が何年にもわたって関わってきた計画の最後を意味する、1枚の写真であった。
外へ出る。すっかり明るくなっている。徹夜明けの眼には、本降りの雨空であってもまぶしい。計画の終わりはこんなものなのだろうか、という複雑な気持ちと、心のギャップがいくばくかは解消されたことで生まれた開放感。決してすっきりした気持ちではなかったが、少なくとも自分の中で、一区切りをつけることはできたと思っている。

「かぐや」が成し遂げた仕事はあまりにも大きい。国際学会に行けば、世界中の科学者がこのデータに注目し、ミッション自体に大きな評価と賛辞を与えてくれる。データ量は20テラバイトといわれており、解析だけでもまだまだ数年はかかるだろう。私もデータをみるたび、半ばその量にため息をつきつつ、時折はその息を飲みながら、コンピュータの画面に向かうことが多い。
しかし、私は常々心配になる。「かぐや」から1年。日本の次期月探査構想は迷走を続けている。「セレーネ2」という構想にしても、かれこれ10年近くも検討を続けて、未だ実現のめどが立っていない。
このままでは、「かぐや」は、日本の宇宙開発に咲いた、巨大な花火になってしまう。「日本も月に行きました。おしまい。」では、次世代の科学者、次世代の知識は育たない。
探査終了から1年。私たちはもう一度、日本の月探査について、真剣に、迅速に考えていく必要があるのではないだろうか。「かぐや」へのオマージュ(賛辞)は、続いてこそ意味がある。

写真=「月周回衛星「かぐや」搭載のハイビジョンカメラが落下直前に撮影した月面の映像(一部)」 Copyright (c) 2009 JAXA/NHK

Written by 寺薗淳也

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