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Space Shuttle Chronicles vol.04

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「Sputnik Shock」

First Artificial Satellite - Sputnik 1
"First Artificial Satellite - Sputnik 1"
Image credit: USSR / Public Domain

人々を宇宙へと駆り立てたもう一つの感情、それは「恐怖」です。

アメリカは第2次大戦後、技術力、経済力共に世界の頂点に立ちました。しかし、その頂点の座は決して安泰なものではありませんでした。「名実共に世界の頂点に上りつめ、その勝利に浸りつつも、背後から忍び寄る影に脅える日々」1950年代のアメリカの気分は、簡単に言えばこんな感じでしょうか。

アメリカが他国に対して優位に立つことができたのは、ひとえに核兵器とミサイル技術を保持していたからです。しかし、アメリカが核兵器を独占できたのは1949年まででした。この年、ソ連は原爆実験を成功させ史上2つめの原爆保有国になります。アメリカが水爆実験を成功させるのは1952年。ソ連が実験を行ったのは翌年1953年です。ソ連が徐々に差を詰めてきているという実感は、当時の人々の中にもあったはずです。そして、もう一方のミサイル技術でも、両国は激しい開発競争を繰り広げていました。

当時、ロケットの開発と弾道ミサイルの開発はほとんど同義でした。第2次大戦直後から原爆、水爆という圧倒的な破壊力を誇る兵器を敵国の中心部まで送り込むための装置として、アメリカもソ連も弾道ミサイルの開発にしのぎを削っていたのです。また、軌道上に人工衛星を打ち上げることができれば、相手国の軍事的、経済的な状態をいつでも把握することができます。これが国際政治や有事の際、極めて強力な「武器」になることは言うまでもありません。つまり、宇宙開発で優位に立つ、ということはそのまま、軍事面のみならず政治的な駆け引きに置いても圧倒的な優位に立つことを意味していたのです。

そして、人々が恐れていた日がやってきました。1957年10月4日、ソ連はスプートニク1号を打ち上げます。アメリカが「世界一」の座から滑り落ちた瞬間でした。

実は、ロシアが人工衛星を打ち上げようとしていることは、当時秘密でも何でもありませんでした。アメリカとソ連の両国は、1957-1958年の「国際地球観測年」に合わせて人工衛星を打ち上げるということを公式に宣言していたからです。しかも、スプートニクの打ち上げは意図的にリークされていました。打ち上げに先立つ数ヶ月間、国営放送に科学者が何度も登場し人類初の人工衛星の打ち上げが間近に迫っていることを告げていました。さらに、打ち上げの数日前には、世界中のアマチュア無線家に向けて衛星が発信する信号が21MHzであることが公開されていたのです。

でも、このリークを本気にしていたのは一部の専門家だけでした。なにしろ、アメリカでも人工衛星の開発は進んでいましたし、その成功は時間の問題と考えられていました。なにより、人々は「我々より技術的に劣っているソ連が、我々より先に人工衛星を打ち上げられるはずがない」と高を括っていました。人々の恐怖は想像するにあまりあります。なにしろ、圧倒的な優位にあると信じていた自国の科学力が一夜にして覆されてしまったんですから。

さらに、ソ連はわずか1ヶ月後の11月3日にスプートニク2を打ち上げます。重量は前回の倍以上の500kg、そして、この衛星にはなんと「犬」が乗っていました。アメリカのバンガード計画は、予定を数ヶ月繰り上げて12月6日に打ち上げが行われましたが、発射直後に爆発。技術的な差は歴然としていました。年が明けて1958年1月31日、ようやくフォンブラウン率いる研究チームが、アメリカ初の人工衛星エクスプローラ-1を軌道に乗せることに成功します。

1960年9月27日、当時、まだ大統領候補だったジョン・F・ケネディは遊説先のオハイオ州カントンの演説で、宇宙開発においてアメリカがソ連の後塵を拝したことを述べた後、こう続けました。

"That is what we have to overcome, that psychological feeling in the world that the United States has reached maturity, that maybe our high noon has passed, maybe our brightest days were earlier, and that now we are going into the long, slow afternoon. "
(私たちが打ち勝たなくてはならないもの、それは世界中の人々が感じているこの想い、アメリカはもうすでに成長期を終えたのではないか?我々は絶頂期をすぎたのではないか?我々の最も輝かしい日々は過ぎ、今ゆっくりと黄昏れに向けて歩みつつあるのではないか?というこの想いなのです)

1961年1月、ケネディは選挙に勝ち、第35代アメリカ合衆国大統領に就任しました。が、彼の思いは通じず、アメリカは再びソ連に先を越されます。1961年4月、ソ連はアメリカに先駆けてウ゛ォストーク1号で初の有人地球周回飛行を行いました。アメリカ国民の間には「我々はソ連に勝てないかもしれない」といういやな雰囲気が蔓延します。初の人工衛星に続き、初の有人飛行までソ連に先を越されてしまった...アラン・シェパードがアメリカ人初の弾道宇宙飛行に成功したのは、遅れること約1ヶ月、5月15日。そして、ジョン・グレンがアメリカ人初の軌道周回飛行を行い、ようやくソ連と肩を並べるのは翌年1962年2月20日のことでした。

アラン・シェパードの弾道飛行の10日後、1961年5月25日、ケネディは議会で有人月探査計画に220億ドルもの予算を割くことを要求するスピーチを行います。

"I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the moon and returning him safely to the Earth"
(私は、わが国こそが、この10年以内に、人類を月に送り届け、再び地球へ安全に帰すという目標を達成すべく、全力を傾けるべきだと信じます)

President John F. Kennedy
"President John F. Kennedy's May 25, 1961 Speech before a Joint Session of Congress"
Image credit: U.S. federal government / Public Domain

ケネディが月にいくことを宣言したのは、ただひたすら失墜したアメリカの権威を取り戻すためでした。我々はソ連に勝てないのかもしれない。国内に蔓延していた厭世感を払拭するためには、この宇宙を舞台にした代理戦争で圧倒的な勝利を得るしかありませんでした。

そして、アメリカの宇宙開発は狂乱の10年間に突入します。マーキュリー、ジェミニ、そしてアポロ計画。輝かしい未来への希望と、背後から迫る「影」への恐怖とともに、彼らは一心不乱に月を目指しました。そして、1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸とともに、JFKの言葉は現実のものとなります。

しかし、その後の宇宙開発にとってなにより不幸だったのは、この10年があまりに特別すぎた、ということでした。

Written by 柏井勇魚

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