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O君と銀河 vol.04

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Yoshiaki Taniguchi
Image credit: Yoshiaki Taniguchi

7.エピソード VII

 高校3年生の春、僕は幸運にも理系進学クラスに入れることになった。2年生のときの担任の先生のご英断のおかげだ。とにかく、大学では天文学を学ぼう。僕はその思いを強くした。

 僕にとってラッキーだったのは、「数学III」が、既に2年生の時に終わっていたことだ。3年生では、理系の場合「特別数学」という、さらにハイレベルな数学をやることになっていた。理科の受験科目は、当然のことながら「物理」と「化学」にした。何しろ、大学の天文学科は物理学科に属している。高校では天文学は地学の中に入っているので、やや当惑する。しかし、どうも天文学の基本的ツールは物理と数学らしい。そのため、僕は躊躇せず「物理」と「化学」にした。ついでながら申し添えておくと、社会の1科目は、最も得意だった「世界史」にした。

 こうして、僕の理系モードは整い、あとはひたすら勉強するだけになった。大変といえば大変だが、好きで選んだ道である。言い訳のきかない状況になったことだけは、確かだった。

 こうして、僕はかなり無理のある選択をした。だが、僕にはもう少し追い風があった。友達の多くが理系な人々だったことだ。何人かは医学部志望だった。そして、わが天文部の同胞も、理系な人々が多かった。数学が大得意なH君がいた。彼は数学に関しては、まさに天才的で、僕は彼から多くのこと(数学的センス)を学んだように思う。F君は工学部志望だったし、S君は化学を目指していた。そして、天文部の部長だったN君は、僕と同じ天文学を目指していた。もう一人、S君がいたが、彼だけは文系で経済学部を目指していた。しかし、その彼も何でも良くできる男だった。そんな彼らと、日常を過ごしていただけで、僕の力になっていたのだ。思い返せば、そうだったのだと思う。

8.エピソード VIII

 決意の高校3年生時代。本来ならば、かなり悲壮感が漂っていてしかるべきだ。だが、僕は、たぶんに楽観的な性格なのだろう。そもそも天文部の活動は普通に続けていたし、生活の一部のようなものだった。当たり前といえば、まったく当たり前であった。その当たり前の生活に、僕は助けられていたのだと思う。

 そんな中、歴史的イベントがあった。初夏。3年生の6月のことだ。

 「ジャコビニ流星雨が来るぞ!」

 天文関係の雑誌はこぞってこの流星雨の宣伝をして、天文ファンをあおっていた。当然、僕たち天文部の人間も大いにあおられた。

 流れ星はそれほど珍しいものではない。流星雨がなくても、普通に夜空を見ていると、1時間に数個は見える。まあ、1時間も空を見ている人はあまりいないが。流星群になると、1分間に数個ということもある。これだと、我慢弱い(短気な)人でも流れ星を見るのは簡単だ。そして、流星雨になると、まさに雨が降るかの如く、流れ星が降る(と、言われていた)。これは見るしかないだろう。

 そして、その日がやってきた。僕たちは春光台と呼ばれる開けた丘のような場所に陣取り、夜を待った。そして、待った。しかし、待てども、待てども流星雨は来ない。時おり、お情け程度に流れ星が見えるだけだ。朝まで待った。そして、結局、流星雨の予報は外れた。皆、うちひしがれて自宅に戻り、そして登校した。

 ところで、高校時代、僕は無遅刻・無欠席だった。別に誇りに思うことではないが、これはこれで、大切なことだ。しかし、僕は、いちどだけ早退するはめになった。それが、ジャコビニ流星雨の観測の翌日だった。徹夜明けで、高校に行った。しかし、やはり眠い。あまりにも眠いのだ。単なる徹夜明けの眠さばかりではなかった。楽しみにしていた、流星雨は不発に終わった。それが拍車をかけているようなけだるい眠さに襲われていたのだと思う。

 2時間目。僕はさすがにだめだと思った。眠っていて授業に出る意味はない。講義してくれる先生にも申し訳ない。さすがに僕もあきらめた。3時間目から早退の手続きを取り、僕は自宅に帰った。昼間から寝るのも変だと思ったが、体は正直だ。僕はその日、見ることのできなかった流星雨を思い、眠りこけた。

 あくる日、天文部の仲間に会った。皆、同じ行為をとったことがわかった。いやはや、である。しかし、たまにはいいだろう。流星雨など、稀有な出来事だ。それに青春をかけた。だが、玉砕した。それも思い出になる。

 受験勉強の合間、そんなこともあったっていいだろう。いや、そういう日があるほうがいいのだ。それが、明日の力になることもあるからだ。僕は、そう思った。覚悟の早退。今では、いい思い出である。

9.エピソード IX

 そして、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来た。北の冬はあまりにも早く訪れ、そして長い。今思えば、努力していたのだと思うが、この頃の思い出はあまりない。

 3月。僕は一通の電報を受け取った(いまどき、電報はあまりないが)。比較的ありふれた文面だった。

 「桜咲く。君を待つ」

 合格電報だ。僕は幸運にも、東北大学の理学部に合格した。思い返せば、あっけない、受験時代だった。

 もし、不合格だったら、電報の文面はこうなっていた。

 「みちのくの雪深し。再起祈る」

 うーむ、なかなか渋い文面だ。しかし、弥生三月の仙台に雪は無い。ところが旭川は根雪の中。この文面、どうも、私にはピンと来なかった。それが幸いしたのかもしれない。

 だが、大学に受かっただけだ。天文学者への道は遠い。どうしたものかと、庭に降る雪を見ていた。18歳の春のことだった。

(次回に続く)

Written by 谷口義明

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