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たったヒトコトから先端科学! その1
November 28 - 2005 - 今泉真緒
「無理をしてつかんだ幸福は、その手に馴染まない。 by 薮本晶子」 今泉真緒
この世に生まれてきた以上、誰しも幸せをつかみたいと願うもの。このコラムでは毎回連想をつなげながら、有名・無名を問わずちょっと意味ありげな一言&格言に、先端科学トピックを織りまぜて、つらつらと幸せの形についてお届けしていきたいと思う。

というわけで第1回は職場(日本科学未来館)の先輩、人生の酸いも甘いも噛みわけた季刊紙MeSci Magazine(ミーサイマガジン)編集長の薮本女史の一言から。この言葉によれば、幸福になるためには、無理をするべきではないようだ。そういえば、乏しい人生経験をさかのぼってみれば、ある国に魅せられて何としてでもそこに住みたかった人がいたことを思い出す。彼女は、職がないことも構わずビザ取得のために焦って結婚をし、とても無理をしてその国に残ったという。ところが暮らし始めてしばらくしてから、「自分がいるべきじゃないところにいる気がする」とつぶやいていたのだ。さて、ここでの無理とは、と思いを巡らす。それはつまり、自分自身を変えずに状況のみ整えて、まったく別の“環境“に飛び込む、ということだろう。彼女の例でいえば、そこが自分に合うのかどうかを問うことなしに「いるべきではないところ」に身を置こうとした、というわけである。こうして日々変わる状況の中、人生の歴史が刻まれていくわけだが、こう考えていくと、幸せをつかむには己を鍛えること、などとつまらない結論になりかねないので、ここで視点をちょっととばしてみたいと思う。
生命全体に広げてみてみれば、自己を変えること自体が約35億年の歴史をつくってきたといえるだろう。そこで重要な役割を果たすのが性の誕生。オスとメス、2つの性によってうまれる多様な遺伝子の組み合わせが、次の世代に変化をつなげる。ヒトの場合、遺伝子は約2万種類だから、その組み合わせといったら数え切れない。そんな多様な生物の中で、自己を変化しつづけて環境に耐えてきた者のみが、生き残ってきたという過酷な歴史である。
では遺伝子が自己を決定するすべてだろうか? いや、そんなに単純ではない。実は遺伝子には働くものと、働かないものがあるのだ。遺伝子を構成するDNA(塩基配列)にはA・T・G・C……と連なる配列にさまざまな“目印”がついていて、それが遺伝子の働きを調節している。この“目印”が受精卵でつけられるからこそ、たった1つから60兆もの細胞の体ができる。同じゲノム(全遺伝情報)のセットをもったそれぞれの細胞が、肝臓や腎臓、心臓や髪の毛になったりできる、というわけだ。ある遺伝子はある細胞では働き、別の細胞では働かない。そういう調節をしているのが、この“目印”である。ちなみにDNAの配列が同じクローン動物でも毛並みが違ったりするのは、この“目印”が違うからだといわれる。このような、ゲノム自体が変わるのではない別のメカニズムで、世代毎に遺伝子の働きに影響する現象をエピジェネシスといい、ポストゲノム研究のホット・トピックといえる。遺伝子が解読されたからといって、まだまだ先は長いのだ。特に未知なるものは、高度に進化した私たちほ乳類。昨今騒がれているほ乳類の「クローン技術」だが、実は生物の大量生産を可能にするためではなく、生命を解明すべくこの“目印”がつけられる過程を研究するために行う科学者も多いのである。
またほ乳類は、さらに複雑な機構をもつ。最近の研究によると、まだ受精卵にもなる前、精子や卵子になる頃につけられる“目印”もあるという。その“目印”は遺伝子をオス化・メス化して、この2つが合わさらなければ、私たちは生まれることもできない。そして驚くべきことに、その精子や卵子は、おばあさんのお腹の中でお父さんやお母さんが胎児だった頃に、そのまたお腹の中ですでにつくり始められる。このほ乳類だけに特有の機構は、ゲノム・インプリンティングといわれる。
さて、ほ乳類として胎盤をぶらさげて生まれてきた私たち。その人生の道のりはながい。でも生命としての体に宿るのは、前の世代・自分・次の世代が絡み合い、変化をつなげていく複雑怪奇な機構であり、それは約35億年もかけて蓄積されたものだ。そこには目的も意思も理由もない。ただ偶然に生まれ、たまたま残ってきたから存在する自己を変化する機構。この変化しつづける生命の世界では、「いるべきではないところ」にいる??無理をする??者は、生き残ることができない。たまたま残った者がその変化の流れを脈々とつなぐ。こうして生命の茫漠とした流れに照らし合わせてみると、人生の文脈において本当に「いるべきではないところ」など、存在するのだろうか。砂漠でも都会でも電車の中でも火星でも、どこであろうと「いるべきではないところ」に身を置くことを最初から避けるのは、死なないことを目的に生きるようなもの。こうしてみてみると、ちょっとした無理をできるのも人生の醍醐味。無理そのものが幸福である、という気がしてくる。
さてその後、先述の“彼女”のその手に幸福は、馴染んだのだろうか……。
【関連URL】
理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 若山研究室
http://www.cdb.riken.jp/grp/
国立大学法人 東京医科歯科大学 難治疾患研究所 エピジェネティクス分野 石野研究室
http://www.tmd.ac.jp/mri/epgn/research.html
Written by 今泉真緒
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